夏もの小ネタ2
「うー暑い暑いっ。やっぱり髪、切りにいこうかなあ」「え、切っちゃうのか? ひめのん」
確かに姫乃の髪は、太陽光線の恩恵をたっぷり受けることが出来そうな色と長さだ。なるほど夏は辛いかもしれない。しかしこういうことになると、男というものは大半が保守的になる。明神も例外ではなく、心中穏やかならざるものがあった。
「まだ当分暑い日が続くみたいだし、どうせならバッサリと」
このへんまで、と姫乃はあごの少し下辺りで髪を一つにまとめるようにして持つと、片側に寄せて胸の前に垂らした。細く頼りない首筋があらわになる。一瞬そこに目を奪われてしまった明神は、ごほんとわざとらしく咳をした。さっきとは違う意味で、胸が大きく鼓動を打つ。声がうわずったりしていないか気を配りながら言葉を選んだ。
「……せっかく伸ばしたのに、もったいないだろ」
「また伸びるのに、もったいないも何も無いよ」
即答されてしまった。
「いや、それはそうだけどさ。何かひめのんあっさりしてるな」
「明神さんが気にしすぎなんじゃない」
なんだか不毛なやり取りのような気がしてきた。次で終止符を打たねば、と普段余り使わない脳をフル回転させる。姫乃の考えを改めさせるには、こちらからも歩み寄る必要がありそうだ。なら――
生活費と姫乃の髪、頭の中で危ういバランスを保っていた天秤が髪の方へと傾く。
「……今度の家賃で扇風機買うから」
クーラーと言わない(言えない)のが我ながらせこいとは思うが、明神にとっては殆ど断腸の思いである。その金の出所は店子の姫乃、という事実は完璧に記憶の彼方へ追放された。
「明神さん、無理しなくていいよ。インスタントラーメンばかり食べてるのに駄目だよ、そんな贅沢」
貴方のすべてを許します、といわんばかりの憐憫と慈愛に満ちたまなざしを向けられ何だか本格的に泣きたくなってきた明神は、最後の砦とばかりに食い下がった。
「髪は女の命って言うだろ。あんまり簡単に切るのはどうかとお兄さんは思うぞ」
「明神さんおじさんくさい……」
一言で片付けられ、今度こそ明神は崩れ落ちた。
「うん。切らない」
「え?」床に埋まりそうな勢いで落ち込んでいた明神は、その声に姫乃を仰ぎ見る。
なぜか彼女は、花が咲いたような満面の笑みを浮かべていた。
「明神さんが切るなって言うなら、切らない」
「……そうですか……」
陰魄退治でも感じた事のないような疲労感が明神の体を襲う。この脱力感は、「ほっとしたから」というだけのものではないだろう。
(今日って仏滅だったっけ?)
この、自分よりもずっと年下の小さな女の子に、何だかいつも振り回されっぱなしだ。彼女になら負け続けてもいい、とか思ってしまう自分はやはり相当おかしくなっている。
久しぶりに頭を使ったせいもあってか急に喉の渇きを覚えた明神は、水でも飲んで気を鎮めようと考えた。普段の姿からは想像も付かない程緩慢な仕草で立ち上がる。
台所で何か飲んでくる、と姫乃に言うと、機嫌の良さそうな声が背後から追って来た。
「今度から、髪型変えたくなったら明神さんに相談するね」
明神は派手に転び、再度床に沈んだ。
おわり
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